2015年10月18日日曜日

矢代秋雄の天才の証明

本日は下記の演奏会に行きました。

○WINDS CAFE 226ー日本のヴィオラ音楽傑作集ー
 開演:2015年10月18日(日)15時
 会場:スペースDo(ダクの下)
 曲目:
 諸井三郎/ヴィオラとピアノのためのソナタ(1935)
 鈴木行一/ヴィオラとピアノのための響唱の森(2009・遺作)
 水野修孝/無伴奏ヴィオラのための四章(委嘱初演)
 西村朗/ヴィオラ独奏のための「鳥の歌」による幻想曲(2005)
 眞鍋理一郎/ヴィオラとピアノのための長安早春賦(1988)
 矢代秋雄/ヴィオラとピアノのためのソナタ(1949)
 演奏:伊藤美香(ヴィオラ)中川俊郎(ピアノ)

 日本人作曲家のヴィオラの作品ばかりを集めた演奏会。
 非常に貴重な機会でした。

 諸井三郎/ヴィオラとピアノのためのソナタ
 日本初のヴィオラソナタ、とのこと。
 音源がなく事実上の再演?
 ヴィオラらしく超重厚な作品。

 鈴木行一/ヴィオラとピアノのための響唱の森
 両国高校出身で長く淡交フィルの指揮者だった人。(淡交フィルの追悼演奏会を聴いたような。。。)
 美しいけど弓の切れた毛をちぎりながら弾くような激しい曲。

 水野修孝/無伴奏ヴィオラのための四章
 今日の演奏会のために委嘱された無伴奏の作品。
 水野さんの作品は時々聴くけど最も良い作品ではないか。

 西村朗/ヴィオラ独奏のための「鳥の歌」による幻想曲
 今日聴いた中では最も前衛的な作品。
 とは言いながら基底は鳥の歌で、それを高音の弱音でベースにして重音を重ねて作られている。

 眞鍋理一郎/ヴィオラとピアノのための長安早春賦
 今年年初に亡くなられた眞鍋理一郎の作品。元はヴィオラと箏のための曲。
 眞鍋先生の純音楽の中では緻密にして重厚、しかも朗々としていてこれも傑作。

 矢代秋雄/ヴィオラとピアノのためのソナタ
 存在だけは知られていて、ヴァイオリンでの初演は(それも死後20年以上経って)成されたが音源もなくヴィオラソナタとしては本日が初演。
 これは日本のヴィオラ作品としてというよりも世界の弦楽作品中の傑作ではなかろうか?
 冒頭からディーリアスのヴィオラソナタを暗くしたような音楽が高音部のヴィオラで語られ出す。それを聴いているだけで胸が熱くなる。伴奏のピアノはフォーレ的でもありドビュッシー的でもありサティ的でもあるがそのどれとも一線を画す独創的なもの。
 ヴィオラは高度な技巧を孕みつつも聴いている人間の心を温かくしたり寂しくしたりする憂いに富んだ旋律で文字通り琴線にぐいぐいと触れる。
 20歳そこそこの若者に何がこのような曲を書かせたものであろうか?
 恋だろうか?
 戦争中の鬱蒼とした暗さと戦後のまぶしすぎて目も心も眩む明るさのあまりの落差だろうか?
 とにかく本日ここに弦楽の世界に新たな傑作レパートリーが誕生した現場に立ち会えたのは慶賀の至りであろう。

2015年10月11日日曜日

早坂文雄の天才の片鱗

日付が変わりましたが昨日はこの10月15日が没後60年の早坂文雄を記念する演奏会に行きました。

○東響現代日本の音楽の夕べシリーズ第18回
早坂文雄没後60年記念コンサート
開演:2015年10月10日(土)15:00 ...
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
曲目:早坂文雄作品
映画「羅生門」から真砂の証言の場面のボレロ
交響的童話「ムクの木の話し」
交響的組曲「ユーカラ」
管弦楽:東京交響楽団
指揮:大友直人


今日は真の天才の音楽に接した。

映画「羅生門」から真砂の証言の場面のボレロ
ラヴェルのボレロとほとんど同じ出だしから全く異なる音像が立ち上がる。日本風な感覚とはまた170度くらい異なるモダンなテイストながら全体としては和風な感覚なのはこの時代の邦人作曲家が目指してなし得なかったものであろう。
ラヴェルのと異なり静寂から始まり静寂に終止。

交響的童話「ムクの木の話し」
スクリーンへのアニメーション上映付き演奏。
戦時中「海の神兵」などのアニメーションを上梓しながらその技術のほとんどを戦後破却されたと思わせるほどに稚拙ながらその何もない中でよくぞここまでという作りのアニメーションに、21世紀の今日でもまだ先を行く先鋭的な音楽が付された作品である。
クレジットから日本国憲法の公布と時をほとんど同じくしている当作品では冬を象徴するオオカミのような氷の魔物が周囲を全て凍結してその手下が木を凍らせて鉤十字にしてしまうなど進駐軍(が観ること)を意識したような作りが見られるがそれらは聖母マリア風の春の女神によって一掃されるなど全体主義への民主主義の勝利のようでありながらその実は戦時中までを冬の時代戦後を春の訪れとして描いており、それを追いかけるように管弦楽が禿山の一夜風の冬から独創的な春の音楽を導く。
フルートが全員ピッコロに持ち替えて凄まじい鳥のさえずりを上げ、風音器・雷音器もないのに凄まじい暴風の様子が描かれていた。

交響的組曲「ユーカラ」
ほとんど交響曲に匹敵する作りであるが独創的。
赤にライトアップされたクラリネットの超絶独奏に始まり武満徹的二つの弦楽合奏の楽章に挟まれて両端に大規模な管弦楽を持つ。
全く類例を見ない作りでこれを聴くと弟子筋の武満徹や佐藤勝がまるで早坂の縮小再生産のようだ。

以上三曲とも弦と打楽器を中核に据えて高音で勝負していて、聴後感はまさに風(Breeze)が通り過ぎる如し。

2015年10月9日金曜日

リントゥのシベリウス、新日本フィル

10月7日リントゥのシベリウスの演奏会の記録です。

○シベリウス生誕150年記念交響曲全曲演奏会第1回
開演:2015年10月7日(水)午後7時
会場:すみだトリフォニーホール
曲目:シベリウス作品
交響曲第3番ハ長調作品52
交響曲第4番イ短調作品63
交響曲第2番ニ長調作品43
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
指揮:ハンヌ・リントゥ

今シリーズは第1回のみ鑑賞。

交響曲第3番
落ち着いた演奏で、俗に言われる第2番より田園交響曲と言うに相応しい拡がりを持っていた。

交響曲第4番
じゅ。が生で聴いた4~5回の4番の中では最も素晴らしい演奏。
氷のような冴え冴えとした出だしから氷の城が築かれて鉄琴で氷の外壁にピキッとヒビが入って温まるまでの叙景のよう。アナ雪みたい?
よく、マーラーと面会した1907年以降、世界を包容するマーラーの交響曲へのアンチテーゼとして内的統一の権化のような評価をされる4番ですが、今日の演奏を聴いているとシベリウスなりに世界を包容してみようとして書かれたようにも思う ただし緊縮の方向に包摂。緊縮の方向だが第4楽章で溢れる世界を堰き止められなくなった。そういう演奏。

交響曲第2番
第1~3楽章までは非常に標準的にそくそく行った感じ
こちらも第4楽章で堰が決壊したように奔流が迸り出た
ハッとするようなルバートもあったりして、この名曲をかなり自由に料理したようだ。
個人的には、5月のサラステ/N響の超名演にはちょっと譲る感じではあるが、新日本フィルがリントゥの雄渾な棒によくついていったと思う。

新時代のN響の新しい復活

10月3日に行われたNHK交響楽団の演奏会の記録です。

○N響第1817回 定期公演 Aプログラム~パーヴォ・ヤルヴィ首席指揮者就任記念~
開演:2015年10月3日(土)18:00
会場:NHKホール
曲目:マーラー/交響曲第2番 ハ短調「復活」
ソプラノ:エリン・ウォール
アルト:リリ・パーシキヴィ
合唱:東京音楽大学
管弦楽:NHK交響楽団
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ

記載の通りパーヴォ・ヤルヴィのN響首席指揮者就任記念演奏会である。
この日の朝なにげに7時に目覚めてパーヴォのインタビューを聞いた。

今回は多くの感想が出て来ない。
今までのマーラーの復活と全く別のマーラーが作曲した復活のようだ。
音節ごとに呼吸をしているような生きた音楽。
今までの常識と緩急が全て逆だが肝心なところではルバートない揺るがないテンポ。
かつて無く遠くから響く舞台裏の呼び声。
この心の昂ぶりと浄化、明日を生きていく糧のような音楽は、今日の生演奏を経験しないとたぶん語ることは出来ない。
亡くなった友人たちの想い出が走馬燈のように廻り追憶に涙する演奏ではなかった。今ここに確かに生きている人間を強く後押しするような、生気が渦巻くような演奏だったということだ。

震災や災害の被害を受けた人たちに捧げたい。ふとそんな気持ちになった。

2015年10月6日火曜日

衝撃的な映画の静謐な音楽

10月3日に行われたシネマコンサートの記録です。

○The Godfather Live 2015~ゴッドファーザー・シネマコンサート
開演:2015年10月3日(土) 13:00
会場:東京国際フォーラム ホールA
演目:『ゴッドファーザー』part1
音楽:ニーノ・ロータ
演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
指揮:ジャスティン・フリーア

好きな映画三本の指に入る映画。
音楽が大好きなニーノ・ロータ!
生(ロードショー含む)で2回、TVなどで3回以上は観てて次に何が来るかも大体みんなわかっている映画ですがそれでもあまりにも精巧な筋書きとド迫力の映像に前半は音楽が生なことを忘れて画面に完全に釘付け。
後半は大幅に音楽の生演奏の効果が高まり、シチリア島を舞台にした一連のシーンはもう歌劇と同じ(しかも内容が深くて示唆的)。
最後の受洗式のシーンはオルガンをどうするのだろうと思っていたのですが、何らかの手段で生音を得た模様で風圧を感じるほど。
それでも確かにシネコンの真価が本当に発揮されたのはエンドロールが終わったあとの静止画を背景とする演奏であったのは確かなところもあったが、後半はある意味映像と音楽が非分離にまで一体化していたのも事実であった。
これほどの凶暴凶悪な映画の音楽が斯くも静謐に溢れたものであることは、確かに前半では音楽の効果が映像体験に影響を及ぼしづらいところもあった(それでもオーボエやクラリネットの独奏はすばらしく響いた)のであるが、後半さらに凶暴凶悪の度が増すにつれてむしろ音楽が重要になってくるのは、そのあまりの衝撃を音楽の静謐で中和しようとするようにも見えるが、なによりその凶暴凶悪なシーンに脳が静謐な音楽を希求していることを監督や作曲者に見抜かれてしまっているようにも感じ取れた。

次回もしシネマコンサートがあるならワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカを観たいのであるが・・・(じゅ。が一番好きな映画である、最も凶暴凶悪の衝撃的映画。音楽は美の極致。)

2015年10月3日土曜日

プログレなショスタコーヴィチ、ビターなボロディン

今日は職場から歩いて5分(走って3分)くらいの場所で開かれた演奏会に行きました。

○KATOO QUARTET 4th Concert 「2人の作曲家、と3人の妻」
開演:2015.10.2(金)19:00
会場:スタジオ ヴィルトゥオージ
曲目:
ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲 第7番 嬰ヘ短調 作品108
ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲 第9番 変ホ長調 作品117
ボロディン/弦楽四重奏曲 第2番 ニ長調
出演:KATOO QUARTET(Vn1:加藤大貴 Vn2:広川優香 Va:神山和歌子 Vc:志賀千恵子)

ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲 第7番
弦楽のみながら交響曲並みの音圧で圧倒されまくり。

ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲 第9番
交響曲的圧倒に加え反交響曲的な個別楽器ごとの錯綜が結果的に見事に統御されたこの上もない演奏。アグレッシヴ&プログレッシヴ。
まさにショスタコーヴィチの交響曲は圧倒的な弦あっての管打なのだろう。と思った。
低弦の伊福部箏曲的撥音に混じってかすかにボロディン風の低内声も聞こえる。
考えられた選曲。

ボロディン/弦楽四重奏曲 第2番
プログレのショスタコのあと甘い蜜の味に浸ろうかと思ったら違った
アグレッシヴでビターな演奏。
力強くてほろ苦い。
内声が太い。高声部が過敏なほど美しい。
最初は高名な第1・3楽章より第2楽章が今日の白眉かと思った(事実、第2楽章はすばらしかった)が、違った 今日の白眉は第4楽章である!
長いこと第4楽章は苦手で付け足しみたいに思っていた。
しかし今日の演奏で認識が180度変わった 最初から「おずおずとしていない」劃然とした出だし、そのあとチェロが超スローテンポからパシフィック231の機関車の如く運動を開始し平衡に至るまで飽くなきカノンを展開しその間緩むことがない。
なるほどこれなら終楽章に相応しい。
というかこの曲の頂点ではないか?
少なくとも今日の白眉であることは間違いなかった。

アンコールは再びボロディンの第3楽章。本編と少し違った味わいだった。

若い奏者とはいえプロが本気を出すとこういう凄まじい音像が建つということがよくわかりました
自分も楽器を真剣に練習しようと思います