2015年9月12日土曜日

演奏会聴取記録・2014年7月21日 マーラー10番インバル/都響

○都響スペシャル
開演:2014年7月21日(月)14:00
会場:サントリーホールホール
曲目:
マーラー/交響曲第10番嬰へ長調(クック補完版)
管弦楽:東京都交響楽団
指揮:エリアフ・インバル 

プログラム挿入のパンフレットによれば、都響はマーラーの10番クック版を4回(バルシャイ版を入れると5回)演奏しており、じゅ。はおそらくすべて聴いております。
しかし、今日の演奏は、その中で最高でありかつ空前絶後の演奏となりました。

マーラー/交響曲第10番嬰へ長調(クック補完版)
第1楽章
冒頭のヴィオラのモノローグから尋常ならざる重苦しい美しさの一糸乱れぬ紗の布地のような連綿とした演奏で早くもじゅ。の涙腺を著しく刺激する。しかしそれは一様のものではなく、9小節目と11小節目の3拍や12・13小節目の4拍目にいままでの他の演奏にない明白なアクセントを置いて心的襞の有りようを示す、心臓の鼓動のようでもある。やがてアダージョから湧き起こる真空状態からの叫びのような弦楽器群は単に綺麗に揃っているだけでなく慟哭と清明の間をひたひたと流れ進み、68小節で張り詰めた緊張の小頂点を築いたあと75小節の従来はヒステリックな頂点とされるが今日の演奏では緊張のあまり脳のすべてを吸い取られてしまうような大頂点を築き、やがて鬱勃とファゴットのトリルに吸収される。そして再びヴィオラのモノローグ…ここまでの111小節で、すでに緊張の極致を聴衆にもたらすものの、決して暗くなく、そこはかとない仄明るさを清透感をもって奏でていく。このアンビヴァレントが凄まじい。
112小節からはじゅ。的にはいつおマーラーらしからぬ狂騒を感じ取っていたが、この演奏では心の底からしっくりときてマーラー一流の心的波動感を愛苦しいレベルで奏していく。やがて194小節のクラスターからトランペットのA音を残すとき、徐々にではなく段階的にディミュニエンドして全体も終焉に至るが、ほぼ1楽章通して美しいの極致で珠玉の宝石のような音色群だ。
第2楽章
永いこと、じゅ。的にはマーラーの原作としてもマーラー的の理解に苦しむプロコフィエフ的な楽章であったが、この演奏で初めてしっくりときた感じがする。随所に打楽器の追加などクック最終版に第2版の要素を加味してはいるが、トーンは抑制的で第1楽章の仄暗さと仄明るさをそのまま引き継いでいるうえ、奇矯さを抑えて後ろ髪を引くような微妙な節付けの演奏だ。それは第3・4・5楽章にも引き継がれる。
スケルツォ=フィナーレと草稿に記されていたのに基づいてか、ここで指揮者のインバルはいったん舞台裏に下がる。
第3楽章
昨日の演奏を聴いた金子建志先生も記されているが第3・4・5楽章は第3楽章の短い主題(ソードーソ)から派生している。それはあたかも小さな細胞からの巨大な変奏で後篇が成り立っているようであり、この演奏が3・4・5楽章すべてアタッカで繋がっているところからもそれと知られる。
この重要な第3楽章が、単なる顔見せ的なのとは違う、極めて意味深長な演奏でもって終始奏され、短いながら人生の清濁をすべて飲み尽くすような深い情感に満ちた演奏だ。
第4楽章
じゅ。の最も好きな楽章である。
冒頭で、クック最終版にないシロフォンが奏される。金子先生によれば死の象徴としての骨、骸骨を象徴するものとしているが、じゅ。的にはその説は採らず、シロフォンの音は乾燥であり、乾きであって、つまりは渇望であり、生への渇望だ。マーラーはフロイトの診察でいったん精神的安寧を取り戻し、これまで以上に生きたいと思っていた時期であって、次第に迫り来る死の恐怖に対し、是が非でも生きたい!と思ったのである。まさにそのようにシロフォンが乾いた音で鳴らされ、応答はいったんはグロッケンシュピールの滴となって癒されるが、次から次へと沸き立つ渇望に対してついに軍楽用大太鼓(本日は見てくれは普通だが極めて鮮明な音のする大太鼓)によってその希望を断たれる様が凄まじくまた哀しみを誘う。
第5楽章
その鈍いが非常に良く音の通る大太鼓の一撃に伴う地底地獄から湧き上がるような凄まじいチューバの吹奏とあまりに対照的な可憐なフルートの音色、そして煉獄の釜を開けた(ソードーソ)の凶暴な雄叫びが第1楽章の旋律の復帰を挿んで神に看取られるが如く急速に透明化して長い弦楽器の慟哭というよりは詠嘆の持続に入り、ついに385小節で生きたい気持ちが横溢したまま後ろ髪を引かれるようなフルートークラリネットーフルートーホルンでその生を強引に閉ざされその直後394小節で弦楽器が弓を交互に返していく様を見て生を閉じた魂が蝶に姿を変えて舞い上がる様を見るようで涙を禁じ得なかった。

聴後感は、しかし悲しいものではなく、なんかやることをやりきったような不思議な達成感と透明感で、心に充分に満ちるものがあった。

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