2015年9月27日日曜日

作曲家としてのバーンスタイン

今日は下記の演奏会を聴きました。

○水響第52回定期演奏会
開演:2015年9月27日(日)13:30
会場:横浜みなとみらいホール 大ホール
曲目:
バーンスタイン/交響組曲「波止場」
バーンスタイン/交響曲第1番「エレミア」
ベートーヴェン/交響曲第7番
メゾソプラノ:小川明子
管弦楽:水星交響楽団
指揮:齊藤栄一

バーンスタインの没後早くも25年、バーンスタインの作品と最後に指揮した作品という組み合わせの演目。

バーンスタイン/交響組曲「波止場」
誘ってくれた知人から「波止場は冒頭が命」と伺っていたので一生懸命間に合うように行きました。
そしたら冒頭が命どころか脳内半球全てブチ飛ばされる打王(山本勲氏の別称)のローリングマレットティンパニのど迫力にしばらく肝を取られた状態(一種のトランス)になりました。ベト9の第3楽章で吹きっぱなしで疲れた顎が落ちたという感じ
また木管と弦楽器が美しい。特に中核を成すアルトサックスとホルンは絶妙である。

バーンスタイン/交響曲第1番「エレミア」
以前から一度は聴いてみたいと思っていてやっと念願が叶った曲。(LP時代にバーンスタインの芸術として3枚組で出ていた。そのうち一つはマーラーの5番と9番)
内容の深さに劣らぬ劃期的素晴らしさの演奏。
弦楽器はさらに美しく素晴らしく、長い廻しの旋律と短いフレーズのどちらも紗の川の流れのよう。
打王のローリングマラカスティンパニの技も光る。
ホルンと木管はここでも素晴らしい。
第3楽章でメゾソプラノがエレミア哀歌を謳い出すとこれが管弦楽とは異次元の素晴らしさ、
哀悼、連綿、痛切の極み 曲の元が良いのだろうが歌唱の詠唱風の響きが直線的に耳を圧する

今日の演奏でこの2曲を聴いてバーンスタインへの自分の考え方が180度転換した。
作曲家としてはあまり高評価していなかったのですが、この高い構成力と緻密極まりない設計の許外発すべきエネルギーを極限まで内燃させた演奏に接し、やはりウエスト・サイド・ストーリー「組曲」やキャンディード「序曲」だけで判断することの誤りを嫌というほど思い知った。
バーンスタインは超一流の作曲家です。
これで来春の都響による交響曲第3番「カディッシュ」への期待が嫌が応にも高まる。

ベートーヴェン/交響曲第7番
水響としてはめずらしい古典です。(金管はホルン倍管、トランペットアシ1あり)
きっと(弦とか)古典特にベト様をやりたがっているだろうなあと思いながら聴いたらやはりそんな感じで弦楽器の溌剌感とか木管楽器のしっとり感とか尋常でないレベルの高さ。
どこのウィーンフィル?位のレベルです
古典の鉄則の音の暴発(特に弦楽器を越えた管の音)を完全に抑制しながら身も心も踊るような躍動を示し、図らずもいろいろ不自由だっただろうベートーヴェンがその頃したかったこと(耳も聞こえて風や鳥の声を聴く、野山を走ってみる、とか)を想像させるようなワクワク感を感じさせる演奏。まさに一筆書きで奏しきったような爽快感。

0 件のコメント:

コメントを投稿